「違法じゃないからOK」で済ませていいの?
◆ 導入 ― 「違法じゃないから問題ない」の正体

最近ね、「違法じゃないから問題ない」って言葉をよく見聞きするの。
でも、それを聞くたびに、モヤモヤが残る。
私たちの社会って、そんなに単純にできてたっけ?

そうですね。
法律は確かに社会のルールですが、「正しさ」そのものではありません。
その線引きは、案外あいまいで、誤解されやすいところです。

けいこ:
行政書士の勉強をしてから思ったんだけど、
法律って、「人間の限界を前提に組まれた、最低限のライン」なんだよね。
でも、そこを“最上の正義”と勘違いすると…ズルが堂々と通る社会になる。
◆ 展開 ― 法律と道徳は別のレイヤー

たとえばね、法律では「正当防衛」が認められてる。
自分の命を守るために誰かを傷つけても、合法。
でも道徳的には、「逃げるのが美しい」とか「争わない方が正しい」と言われることもある。

はい、それが法律と道徳のズレです。
法律は「これを超えたら社会が壊れる」という最低限のライン。
一方、道徳は「どう生きるのが人として美しいか」を問う最高理想。
だから「法律に違反していないから正しい」とは言い切れない。

行政書士の勉強でも一番驚いたのはそこなの。
法律って、“人間の限界”を前提に作られてるのよね。
◆ 思考 ― ズルしても合法なら勝ち、なのか?

でも、現実では「ズルしてでも勝った人」が評価されがち。
SNSとかで“成功した感”だけ見せる人が勝ち組扱いされて、
誠実にやってる人が置き去りにされてる。

「勝てば官軍」の空気ですね。
結果がすべて、モラルは言い訳、という価値観がはびこると、
“ルールに守られるべき人”がかえって損をする側に回ってしまう。

本当は、法律って「ズルを抑えるため」にあるんじゃないの?
それなのに、「違法じゃなければズルしてもOK」って使い方をされると、
なんだか悲しくなるのよね。
◆ 分別 ― 境界を知ることが信頼を守ること

だからこそ、「法律の判断」と「道徳的な正しさ」は切り分けて考える力が必要なんです。
それは知性でもあるし、信頼関係を築く前提でもあります。

そうね。「法律を守ってるからOK」だけじゃなくて、
「相手の信頼を守ってるかどうか」まで見て判断したいよね。
🟧 まとめ ― 「誠実な人」が傷つかない社会へ
ズルしたもん勝ち。勝てば正義。
そんな“正当化された不誠実”がまかり通るとき、
本当に社会を支えてる“誠実な人”たちが、静かに傷ついていく。
私は、声を上げる人が責められずに済む社会、
そして「やさしさ」や「誠実さ」がちゃんと価値として残る社会を、
もう一度“選び直したい”と思ってるの。
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